2008年02月20日
ガウスという単位の由来って
まさかこの人?
ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス(Johann Carl Friedrich Gauss(Gauß)、1777年4月30日 - 1855年2月23日)はドイツの数学者、天文学者、物理学者である。彼の研究は広範囲におよんでおり、特に近代数学のほとんどの分野に影響を与えたと考えられている。数学や磁気学の各分野には彼の名が付いた法則、手法等が数多く存在する。子供の頃から数学の才能を発揮した。
ガウスはドイツのブラウンシュヴァイクで煉瓦職人の父親と、清楚な母親の元に生まれた。子供の頃から彼は神童ぶりを発揮し、逸話として、小学校での話がのこっている(彼は後年好んでこの話をしたそうだ)。ある時、1から100までの数字すべてを足すように課題を出された。それを彼は、1 + 100 = 101、99 + 2 = 101、98 + 3 = 101… となるので答えは 101×50 = 5050 だ、と即座に解答して教師を驚かせた[1]。実際、算術の教師は彼の才能を見るにつけ、このような天才に自分が教えられることは何もないと言ったそうである。また1792年頃、15歳当時の彼は、一日15分ずつの予備の時間を当てて1000個ずつの自然数にそれぞれ幾つの素数が現れるかを調べ、その次第に減っていく様子から、約100年後に証明されることになる素数定理を予想した。
ガウスは言葉が満足にしゃべれるようになる前から、誰から学ぶこともなく計算ができたといわれている。三歳になるかならないかの頃、父親が給料計算を間違えたことを指摘したという[2]。 七歳になるとガウスは地元の小学校に入った。ここでビュットナー校長によって算数を習うものの、すでにガウスは習得済みであった。このため、校長は自費でより高級な算術の教科書をハンブルグから取り寄せたが、すぐに読み終えてしまった。ここで校長は「これ以上教えられることはない」と述べたようである。そこで校長は、助手であるヨハン・バーテルスにガウスをまかせることにした。ガウスとバーテルスは共に学び、教科書を改良したり、新しい概念を生み出すようになった。バーテルスはブラウンシュバイク公フェルディナントの知人であり、フェルディナントの経済的支援によってゲッティンゲン大学に行くことになった。
大学では、ハンガリー貴族であるヴォルフガング・ボヤイと友人になった。ボヤイがガウスの家を訪ねた際、ガウスの母に息子は優秀なのかとたずねられたところ、ガウスはヨーロッパ一の数学者になるでしょうと答え、母は泣き崩れたという。
(以上、ウィキペディアより引用)
関係ないようです…。
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